バラバラの紙と綴じた紙

2014年12月27日

実家は小さな商売をしており、
親たちがしょっちゅうメモ書きをして
壁に貼ったりしていました。

親戚が印刷会社をしていたために、余った紙を
どっさりくれましたので、メモ紙を買うことはありませんでした。

実家には、白くてきれいで、
どんなに使っても怒られることのない紙がたくさんありました。

わたしの遊びは、それに落書きをすること。

ある日、伝票をホチキスで止めている母のマネをして、
事務机に常備されているホチキスで
紙をとめてみると、バラバラの紙が本になりました。

子どもだったわたしは、
その世界観の変化に感動しました。

手近にある雑誌や漫画をまねて、
表紙を作ったり、ページを作っては
ホチキスで止める、という遊びをよくやっていました。
止める前 → 止めた後 の変化が面白かった。

そんなことを思い出したのは、
長らく本棚に眠っていた資料のカタスミに
書いてあることが嬉しかったからです。

雑誌や書籍は、読者の〈めくる〉行為によって成り立っている。
読者は〈めくる〉ことによって、ページに参加している。
〈めくる〉行為は、雑誌や書籍と読者をつなぐインターフェイスであり
このユニークなインターフェイスを〈ページネーション〉とよぶ。

用紙の裏表に文字や図版が刷られ、ノンブル=ページ番号が付され、
背で綴じられた瞬間に、単なる紙の集積は
時間と空間を同伴する立体物となる。
ドラマを湛えたミクロコスモスとなるのだ。
それは、コピーされた資料をホチキスで止めたものと比べればよくわかる。
〈ホチキスで止めただけのもの〉と〈ページネーション〉は、
似て非なるものだ。

綴じるだけでも何かが変わるのですが、
さらにページネーションというミクロコスモスな世界が
あったのです。

もしかしたら、これがわたしを惹きつけるのかしら。

前から、本や雑誌と、イベントは似ていると感じてきました。
読みたいか、参加したいか、わからない人に
何か届けたいものがあって
ぜひとも「そうしたい」と思ってほしくて
あれこれ考えたりもてなしたりするところ。

うまくいくとは限らないので冷や冷やするところ。

喜んでもらえたときの
たまらなく嬉しい気持ち。

編集はただ、情報を整理したり並べかえるだけではなくて、
ミクロコスモスを作らないと。

ページネーション… 、もっと研究していきたいと思います。

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